前回更新してからずいぶん時間が経ってしまいました。

今は一年で一番寒い時期でしょうか。ここ奥出雲町は雪の多いところで、年末と年明けに降った雪がまだ道路の脇や田んぼにはたくさん残っています。あと1ヶ月ちょっともすれば春の気配を感じることができるようになっていることを期待しているこのごろです。

 前回までは日本や欧米のがんの化学療法の状況についてお話ししました。今回は私個人の話をしましょう。

 私はもともと、消化器外科が専門です。1989年(平成元年)に医師国家試験に合格してからずっと、消化器外科の診療に従事してきました。1989年というのは日本では昭和から平成に年号が変わった年でした。バブルはまだはじける前でした。今はノーベル賞候補といわれる村上春樹の「ノルウェイの森」が売れていました。あの赤と緑の本を手にした方も少なくなかったと思います。

 外科医というものはみんな同じですが、最初から手術ができるわけではありません。はじめは先輩の先生の手術をみても何をしているのかもぜんぜんわからず、ただおろおろするばかりです。そして気持ちだけは早く自分で手術ができるようになりたい、と思っているものなのです。一生懸命勉強したり手術の見学や助手をしているうちにすこしずつできるようになってきます。私の場合、少し手術ができるようになったかなという状態になるまでに5年、指導してくださる先生についていただいたらだいたいのことができるようになるまでにさらに5年、1人でだいたいできるようになるまでにまたさらに5年、つまり一人前といえるようになるまでおよそ15年かかったように思います。世の中の外科医のみなさんはだいたい同じように感じているのではないでしょうか。  

 そのようにして時間が経って、いつの間にか自分も後輩の手術の指導をする立場になっていました。そうして消化器がんの治療をみわたしてみると、私が医師になったときと比べると状況が大きく変わりつつあることに気づきました。化学療法(がん薬物療法)が消化器がんの分野でも著しく発展しつつあったのです。私が大学を卒業した20数年前にも、もちろん消化器がんに対する薬物療法はありました。しかしはっきり有効性が確認されないまま手探りで行われている状況でした。はっきり有効性が確認されないのですから、行う方も自然と(言葉は悪いですが)片手間に行っている状況でした。

 2000年をいくらか過ぎた頃になると、最初は大腸癌、次いで胃癌の分野で従来とは明らかに異なる治療成績が報告されるようになってきたのです。薬物療法がそれまでと比べると劇的に進歩しつつありました。当然、日本でも先進的な病院では新しい治療にどんどん取り組みつつありました。私も自分なりに勉強してこれらの治療に取り組み始めました。  

 しかし一つの疑問が生じたのです。つまり、これだけ進歩したがん薬物療法をこのまま片手間で続けていっていいのか、という疑問です。腫瘍学(がんの生物学と薬物療法と言い換えてもいいでしょう)に関する知見は私が学生時代とは比べ物にならないくらい多くなっていることも分かりました。そもそも学生時代には腫瘍学という学問分野も知らず、当然これについての教育もありませんでした。根本的に勉強し直すべきではないのか? このときから、わたしががん薬物療法の専門医を取得することができるのかということを調べ始めました。2007年頃のことです。

 一生懸命語っていると長くなってしまいました。続きは次回に持ち越します。

 趣味のテニスは、冬になってできる回数が減っています。奥出雲町のテニスコートは、今も雪に埋もれているからです。本日テニスの4大大会のひとつ、オーストラリアンオープンで、松江市出身の錦織圭選手が緒戦を3-0のストレートで勝ち上がりました。みんな、世界のいろんなところでがんばっていますね。

2012年1月17日 奥出雲病院 外科 鈴木賢二